【鎌倉】鶴岡八幡宮を歴史と絡めて散策

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都心から日帰りでも行ける、鎌倉・鶴岡八幡宮に行ってきました。

実際に僕が行って体験を基に歴史と絡めた鶴岡八幡宮の楽しみ方シェアしたいと思います!

アクセスがよくて僕は天気が良い日には鶴岡八幡宮のあたりへブラブラ散歩にいきます。

初詣の時期だと凄い混雑なのであまり行かないのですが、、、。

普段何気なく通りがかる鶴岡八幡宮について、その背景を調べて行くのと、そうでないとでは見えてくる風景が全く違います。

今回は現地へ行ったレポートをしながら、鶴岡八幡宮を満喫するための背景知識を紹介していきます!

 

 

鶴岡八幡宮・基本情報

 

鶴岡八幡宮・基本情報
  • 所在地:〒248-8588 神奈川県鎌倉市雪ノ下2丁目1−31
  • 建設: 1063年
  • 電話番号: 0467-22-0315
  • アクセス :「JR鎌倉駅」東口から徒歩10分 、「江ノ電鎌倉駅」から徒歩10分  、「横浜横須賀道路・朝比奈I.C.」から5km 
  • 公式HP:https://www.hachimangu.or.jp/
  • 駐車場:専用駐車場があるものの、祈祷をする方や団体バス向けのようです。近隣にコインパーキンが沢山あります。

車で行く場合、土日祝祭日で天気が良い日は午前11時ころから非常に混雑します。朝比奈ICから降りて5kmと近いもののかなり渋滞します。

同様に帰宅する人が多い16時以降は帰りの車で渋滞が激しいので、車で行かれる方はスケジュールに余裕を持って出たほうが良いですね~

平日はさほど混雑はしていません。

鶴岡八幡宮の見どころ&歴史的背景

さて、寺社仏閣や遺跡などを観光するにあたって、その背景知識を持っているのと持っていないとでは楽しさが天と地ほどの差があります。

僕は鎌倉や三浦半島の歴史的名所を散歩するのが好きなので、毎週のように遊びに行きます。

まずやることがカメラ等のメンテナンスではなく、この背景知識を調べることです。

数百年~1000年以上前に存在した人々やその生活様式を調べると、当時の日本人の見た光景、感情などを追体験出来る(ような気がする)ので、

とっても楽しいのです!

「ここが頼朝が歩いたであろう道か!」みたいなことを妄想するとワクワクが止まりません、笑

小学校や中学校の時に遠足や修学旅行でこういった地方の名所を観光すると思うのですが、当時は何が楽しいのか理解できませんでした。

楽しくなかった理由がまぁ子供だからという理由もあるでしょうが、名所の背景知識を知らないから面白くなかったのだなと回想します。

 

さて、本題に戻ります。

鶴岡八幡宮の場所は若宮大路を北へ進んだ突き当りにあります。

埋め込み地図だと少し分かりにくいですよね。

赤枠で囲ったのが鶴岡八幡宮とJR鎌倉駅です。そして青い線を南北に引いたのが若宮大路です。

鶴岡八幡宮は一年に1000万人以上の観光客が訪れる場所なので行ったことがある人は多いかと思います。

鶴岡八幡宮は移転している

実はこの鶴岡八幡宮、もともと別の場所にありました。移転されて今の場所にあるのですね。

元々あった場所は神奈川県鎌倉市材木座1丁目7

由比若宮や元鶴岡八幡宮と呼ばれていて、住所でいうと材木座のあたりです。

現在の鶴岡八幡宮と1kmほど離れています。

元鶴岡八幡宮は跡地でなく境内等しっかり残っているので寄ってみてもいいかな思います。

さて、鶴岡八幡宮が移転した背景を少し深掘りしてみたいと思います。

鶴岡八幡宮・移転の歴史 のれん分け的なイメージ

鎌倉といえば鎌倉幕府ですよね。鎌倉幕府を開いたのはご存知、源頼朝です。

鶴岡八幡宮を創ったのは源頼朝の5代前である源頼義(みなもとのよりよし 988-1075年)です。

源頼義

[生]永延2(988)
[没]承保2(1075).7.13.
平安時代中期の武将。頼信の長子。長元3 (1030) 年平忠常の乱平定のため父とともに上総に下り,勇名をはせ平直方の婿となった。
石清水八幡を鎌倉由比 (ゆい) 郷に勧請し,源氏の氏神とした

源頼義 コトバンクより

ざっと要約すると、

頼義さんが父である頼信、さらに子の頼家とともに【前九年の役・1051-1062】において陸奥の豪族安倍頼時・貞任(よりとき・さだとう)源氏を打ち破りました。

それによって関東で権力を盤石なものにしました(1062年頃)。

【前九年の役】遠征の前に頼義は岩清水八幡宮(京都)にむかって戦勝祈願をしました。

その御利益によって戦に勝利したと頼義は喜び、現在の鎌倉市材木座あたりに岩清水八幡宮を勧請(かんじょう)して元鶴岡八幡宮を建てた(1063年)と言われています。

 

 

勧請という言葉、難しいですよね。意味を調べると 【神仏の分霊を他の場所に移しまつること。】という意味です。

のれん分け的なイメージですかね。

 

頼義が材木座あたりに元鶴岡八幡宮を建てたのが1063年です。

すなわち1063年が鶴岡八幡宮の創建であると考えられています(1)

 

それから約100年後に鎌倉幕府を開いた源頼朝は鎌倉入りを果たし、源氏ゆかりのこの地を本拠地としました。

鎌倉入とほぼ同時に鶴岡八幡宮を現在の場所へ移しました。

 

由比ヶ浜沖は交易船でにぎわった

鎌倉駅東口から出て若宮大路を左に行けば鶴岡八幡宮です。

右に行くとご存知、由比ヶ浜が広がっていますよね。

 

この由比ヶ浜、海道記によると当時(1220年頃)は数百の船舶で賑わい、交易・海運ですごく栄えていたようです。(2)

 

【海道記】
鎌倉時代中期の紀行文学。作者未詳。一説に源光行かという。1冊。貞応2 (1223) 年以後まもなく成立。

海道記 コトバンクより

「數百艘の舟、ともづなをくさりて大津の浦に似たり」

海道記より

 

あの穏やかな海の由比ヶ浜が交易船で賑わっていたというのは意外でした。

現在は砂浜が広く、とても穏やかな海です。台風や低気圧が近くにないと目立った波は立ちません。

海岸沿いを散歩やジョギングをしている人もいますし、早朝の砂浜でヨガをやっている人もよく見かけますね。

 

 

夏は海水浴で大賑わいです。海水浴シーズンの由比ヶ浜はちょっと不良っぽい人が多くて僕は敬遠しています、笑

江ノ島あたりでも言えますが夏の湘南地域のビーチはタトゥー率が高い、笑

 

天然の要塞都市鎌倉

 

話は戻って、由比ヶ浜は幕府の目と鼻の先にある海岸ですから海運路として栄えたのは当然と言えば当然かもしれません。

鎌倉は天然の要塞と言われ山に囲まれた城塞都市ですから海路のほうがアクセスが容易だったのでしょうね。

 

グーグル・マップの航空写真で見ると、山による囲まれ具合が良く分かります。

赤枠:鶴岡八幡宮   青線:若宮大路

中心地へ行くには細い街道を通るしかありません。
今でこそ整備された道路ですが、当時は街道がアスファルトなんてことはありません。

鎌倉は防衛する側としては絶好の立地なんだったなと空から見ると関心してしまいます。

 

鎌倉の鶴岡八幡宮といえば、この場所が入り口のイメージが強いですよね。ここは実は3番目の鳥居なのです。

 

下図でいうと赤丸印の場所ですね。八幡宮を眼前に臨みます。突き当りになっていて大きな鳥居があります。

 

実はこの鳥居より海側にさらに2つ鳥居があります。

その鳥居の背景を知っておくと、また鶴岡八幡宮観光の楽しさが倍増します!

 

鶴岡八幡宮・一の鳥居、二の鳥居、三の鳥居

青枠:鶴岡八幡宮  青線:若宮大路  赤枠:鳥居

見てもらうと、最初の鳥居(一の鳥居)は鶴岡八幡宮から1.3km離れた位置にあります

一の鳥居は1180年に源頼朝が創り、その後1668年に徳川4代将軍の家綱が再建したものです。

 

一の鳥居と二の鳥居の間にJR横須賀線が走っています。この交差点は【下馬】交差点といいます。

【げば】と読み、馬を下りるというそのままの意味です。青矢印&緑○の交差点

鎌倉時代においては、下馬交差点から鶴岡八幡宮へ行くには身分の高い武士や貴族でも馬を降りたと言われています。

 

自転車や車なんかはとんでもない!?
下馬交差点から八幡宮へ向かうときには畏れ多さを感じながら歩きましょう、笑

 

将軍・源頼朝が通った道

 

そして二の鳥居に到着します。ここは道路と平行に一段盛り上がった歩道になっていて知っている人もおおいはず。

この盛り上がった歩道を【段葛・だんかずら】と呼びます。

段葛・だんかずら

段葛(だんかずら)とは、鎌倉市鶴岡八幡宮参道若宮大路のなかで、二の鳥居から鶴岡八幡宮までの車道より一段高い歩道をいう。終着点には三の鳥居があり、鶴岡八幡宮の境内へと到る。

【段葛】Wikipediaより引用

 

当時、この段葛を通ることが出来たのは、まずは神様であり、そして源氏の将軍、北条家の執権であったと言われています。

鎌倉幕府時代における極めて身分の高い者たちの専用道路だったようです。(3)

現在、段葛の両脇には桜の木が植えられ春には桜が満開となり、素晴らしい景色が広がります。

是非見て欲しいスポットの一つですね。

 

桜を見ながら鎌倉幕府の歴代将軍たちがかつて通った同じ道を自分も颯爽と歩いていると思うと感慨深いものがありますね~

およそ800年前に源頼朝はもちろん、

頼朝の正室である北条政子、政子の父であり鎌倉幕府初代執権の北条時政と同じ道を自分が歩いているのです。

もしかしたら源義経も歩いていたかも??と想像するとたまりませんね。

 

さて、この記事を読んだ皆さんも鎌倉時代の将軍様になったつもりで段葛を歩きましょう!

 

個人的には鎌倉・鶴岡八幡宮のベストスポットです!

鶴岡八幡宮 境内の様子

三の鳥居を抜けると境内になります。手を清めて、、奥へ進みます。

 

 

 

神道式の結婚式をしているのを良く見るところ。境内のここら一面は1191年に火災ですべて消失しています。

そのため頼朝は一段高いところに本宮を建築しています。

 

 

 

下図の大石段(階段)を上った先が本宮ですね。

 

 

 

境内の入り口かかる太鼓橋、春の様子。神さまの通り道とされ、人が通りにくい仕様になっている。

 

 

冬の源平池、夏になると蓮で埋め尽くされる。

夏の源平池! 蓮だらけ!

 

まだまだ見どころは沢山ありますので是非いってみてください~

鶴岡八幡宮 公式HPへ

鎌倉時代以後も時の実力者が参拝&再建

鶴岡八幡宮はたびたび火災や地震などで被害を受けるが、ときの実力者たちがそのたびに再建しています。

小田原北条氏の北条早雲が参拝し、その子・北条氏綱は消失した鶴岡八幡宮の大造営を行っている。

氏綱の大事業としては鎌倉鶴岡八幡宮の造営がある。鶴岡八幡宮は大永6年(1526年)に戦火によって焼失しており、造営事業は天文元年(1532年)から始まり、興福寺の番匠を呼び寄せて翌年から工事が着手された

Wikipedia 北条氏綱 より引用

 

その後、豊臣家や徳川家も復興&再建に努めたとあります。

鎌倉・小町通りで休憩

 

鎌倉の大通り若宮大路から中道に入ると小町通りがあります。ここは軽食を取れるお店が沢山あって、休憩のときなんかは手軽でおすすめです。

赤矢印で示した赤線が小町通りです青線が大通りの若宮大路ですから、中道にはいるとすぐあります。

 

せっかくなので少しだけオススメの店を紹介!

 

鎌倉・小町通りで軽食

お団子屋さんの夢見屋、種類が豊富で見た目も楽しめます!

 

公式HP・さくらの夢見屋 鎌倉小町通り本店

  • 住所:鎌倉市小町2丁目7−34  
  • 電話番号:0467-25-3815
  • 営業時間:10:00-17:30

 

お団子の種類がたくさん!

みたらし、黒蜜、きなこ、、、、etc   個人的には黒蜜きなこが一押しです!

食べ歩きながら鎌倉を散策してみるのもいいですね!

 

 

 

 

続いて、ジェラート好きにはたまらない!

公式HP:ジェラテリア イル・ブリガンテ

  • 住所:鎌倉市 小町2-9-6 1F
  • 電話番号:0467-55-5085
  • 営業時間:11:30~17:00 (平日)、11:30~18:00 (土日休日)
    ※売り切れ次第終了

ここのお店のシェフはイタリア人の方で、本場の味が楽しめますよ~!

素材にもこだわりがあって無添加の手作りデザートです、地元鎌倉では熱烈なファンが多い!

僕はさっぱりとした味が好きなので、レモンやグレープフルーツをいつも食べます~

 

 

 

落ち着いた雰囲気で一息つくには 甘味処こまめ はおすすめですね。

比較的静かめな鎌倉駅西口にありますので、ゆっくり語らいたい人には良いお店です。

  • 住所:鎌倉市佐助1-13-1
  • 電話番号:0467-23-8334
  • 営業時間・ 11:00~18:00
  • 定休日:毎週火曜日、第3月曜日

【白玉クリーム黒かん】が美味しい! もちもち白玉とクリームのバランスが絶妙

 

甘味処こまめは小町通りではありませんが、鎌倉駅西口から5分くらいですのでアクセス○です。

若宮大路や小町通りから一本入ればすぐに住宅街が広がっているのが鎌倉の特徴です。駅から5分だけでも宅地のほうに入れば静かな環境になります。

住んでいる人がいるのであまり騒ぐのはご法度ですが、一息入れて会話に花を咲かせるには良いところですよ。

 

さて以上で鶴岡八幡宮レビューを終わりにしたいと思います!

武家の古都・鎌倉は歴史と絡めて散策すると楽しさ倍増ですから、参考にしてもらえたら嬉しいです!

 

出典
(1)~(3):山折哲雄・監修 槇野修・著 「鎌倉の寺社122を歩く」、神奈川歴史散歩の会・編「神奈川ふるさと歴史散歩」

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